花火の「伝統」を守る

TOP > 花火の「伝統」を守る

花火の匠の技を手から手へ。
磯谷煙火店130年の歴史は、日本花火の歴史そのものです。

初代 磯谷仙二郎の時代

1887年(明治20年)初代磯谷仙二郎が、打揚花火製造施設を作り創業。当時の工場は松平村岩倉(現在の愛知県豊田市岩倉町)にありました。
岩倉はもともと花火づくりが盛んな郷で、当時は農業の合間に花火づくりが行われていました。
神社の大祭で奉納花火が披露され、郷では最大の祝宴だったそうです。

1921年(大正10年)頃には鉄製の筒が考案され製造がはじまります。
もともとの木筒は保存管理が難しかったため、鉄製の筒に置き換わったことにより打ち揚げ技術の近代化が図られました。
またこれにより二尺玉の製造が促されます。

 

  • 初代 磯谷仙二郎

    松平工場

  • 初代 磯谷仙二郎

    二尺玉前で初代と二代目

  • 初代 磯谷仙二郎

    昭和5年磯谷二尺筒(左)

二代目 磯谷鑅三郎の時代

大正末期から昭和初期、農業を捨て花火専業で行くと決心のもと工場を岡崎の梅平へ移転します。

移転直後に事故に遭遇、大きな損失を抱えながらその2年後には荒井山へ移転と、経営的にも存亡の危機を迎えることになりました。
しかし幾多の困難を乗り越え、その後の成長の礎が築かれることになります。

そうした努力の成果が花開いたのが1954年(昭和29年)、岡崎で開催された全国初の二尺玉コンクールでの総合優勝。通産大臣旗を獲得しました。
花火に対する高い技術があらためて評価された嬉しい受賞です。

 

  • 二代目 磯谷鑅三郎

    (鑅三郎) 後導仕込作業

  • 二代目 磯谷鑅三郎

    (鑅三郎) 尺玉仕込作業

  • 二代目 磯谷鑅三郎

    (鑅三郎) 成形作業

三代目 磯谷行雄の時代

1965年(昭和40年)に保母工場に移転、その後の成長につながる本格的な花火づくりの基盤ができあがります。

1992年(平成4年)、株式会社磯谷煙火店を設立。職人の家内制手工業から社会に開かれた企業へ、花火会社として新たなステージを迎えます。

 

  • 三代目 磯谷行雄

    (行雄)尺玉仕込作業

  • 三代目 磯谷行雄

    (行雄)仕上作業

  • 三代目 磯谷行雄

    (行雄)8号仕込作業

四代目 磯谷尚孝の時代

1995年(平成7年)、三代目行雄の死去により代表取締役に就任。

花火の技術とコンピューターを融合させた電気点火器の開発、在庫管理システムの開発など、さまざまな新技術の導入により、花火の製造や演出、管理において急速に近代化が進みます。

積極的に全国の競技会にも参加、大曲の花火競技大会では最高栄誉である内閣総理大臣賞に2度輝くなど、技術と演出において高い評価を受けています。

2009年(平成21年)には、経済産業省の行っている「明日の日本を支える元気なモノづくり300社」の「キラリと光るモノ作り小規模企業」部門で選定されました。
長年のモノづくりに対する企業姿勢を評価されての受賞で、全国屈指の花火技術を誇る花火製造会社として、広くその名を知られることとなりました。

 

  • 四代目 磯谷尚孝

    (尚孝)玉日乾

  • 四代目 磯谷尚孝

    (尚孝)星日乾作業

  • 四代目 磯谷尚孝

    (尚孝)8号玉日乾作業