お知らせ
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投稿日:2017/01/24
株式会社磯谷煙火店 磯谷尚孝
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私は花火を家業としている家に生まれました。最初から家業を継ぐことを前提に育てられたか、というとそんなことはありません。というよりは、父親に家業を継がなくてよいと言われて育ちました。もともと“あまのじゃく”の性癖の私は、父親から家業継承を強く求められていたとしたら、この仕事に就かなかったのかもしれません。とはいえ、花火が極めて身近にあったことは間違いありません。中学時代の夏休みは家業の手伝いをしていましたし、花火現場に行くのも楽しみでした。いつしか花火の魅力にはまっていたのかもしれません。高校生くらいになると、その気持ちはより明確になり、具体的にどんなことをしたいか心に描くようになっていました。
この仕事に就いて、父親から花火技術を手取り足取り教えてもらったことはほとんどありません。どちらかというと放任状態で、父親は私のやることを静観していました。花火師にとってひとつひとつの花火をいかに作るかも重要ですが、スターマインのような連続した花火をどのように見せるかも現代の花火師にとって大きな課題です。最初のスターマインを任されたのは、岡崎の百花園コンクールでした。三河地方では、スターマインのことを百花園と言っていました。その名残と思いますが、愛知県では現行の火薬類消費許可申請書にも百花園という表現が使われています。これは岡崎の花火大会の中で、地元5〜6社でスターマインの競技が行われ、歴史は1960年(昭和35年)までさかのぼります。私にとって花火競技大会の原点がここにあります。
それまで蓄えられた花火の知識はありましたし、自分が花火の構成をすれば今までのものとは別格のスターマインができるに違いない、と心のどこかで思っていたのかもしれません。花火の種類を5玉くらいで小刻みに変え、あふれる思いを詰め込んだ盛りだくさんのスターマイン構成ができあがりました。しかし、そのスターマインが点火され、真下から見上げた私は酷いショックを受けました。自分の頭の中に描いていたものとかけ離れたスターマインだったのです。花火構成者の主張は微塵も感じられなく、まさに“過ぎたるは及ばざるがごとし”でした。
スターマインはたくさんの花火で表現するのだから、ひとつひとつの花火の品質はあまり影響しない、という声を業界内でも時々聞きます。もちろんスターマインの打ち揚げ方にもよるので一概には言えませんが、最初のスターマインから何年か経って、その考えは間違いであることを実感しました。ひとつひとつの花火の品質が保たれていなければ、心に残るスターマインは生まれません。
人は他人から聞いた失敗体験も生かすことができますが、自分自身の失敗体験はインパクトが大きく強烈です。時々トラウマにもなりますが、これらの失敗体験は、それ以降に大きく影響を与えたのは言うまでもありません。
スターマインの打揚方法については