お知らせ
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投稿日:2021/10/16
株式会社磯谷煙火店 磯谷尚孝
私は磯谷煙火店の4代目にあたります。初代が仙二郎で、私の祖父にあたる2代目こう三郎(当用漢字になくひらがな表記)は弟と一緒に仕事をしていました。戦後弟の釘作さんは新しく工場を新設し、それ以降別々に花火業を営みました。その釘作さんが取材を受けた時の新聞記事が残っています。岡崎市制が施行された大正5年(1916)当時を振り返った内容でした。
昭和50年の中日新聞記事より引用*****
一日は全市で休みなしに打ち上げ花火が鳴り響き、夜は多彩な「夜花火」が、人々の白い浴衣姿を染めた。花火師・磯谷仙二郎の腕のみせどころであった。父仙二郎は、岡崎に泊まり込みで花火にいそしんでいた。花火師には、昔もいまもお金持ちがスポンサーについてくれる。現代は、このだんな衆が会社や組合などの団体だが、昔は個人のお金持ちだった。自分の好きな花火師にお金を出し、好みの花火を打ち上げさせるのである。磯谷仙二郎にも、たくさんのスポンサーがいた。「磯谷、キクものの尺玉を5つばかり上げておくれんか」「承知いたしました、だんな・・・」
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この記事を興味深く読みました。現代は主に行政、商工会議所、観光協会などの組織がスポンサーを集め、その集約されたものが花火会社に発注されます。私たちは行政の担当者と打ち合わせをしますが、残念ながらスポンサーの顔は見えないのが普通です。この記事のような販売形態は、花火業界を育てた原点だと思われます。依頼者の顔が見えるというのは、色々な思いも感じることでしょう。昨年、今年と行政などの組織が行う花火大会はほとんどが中止となりました。もちろんたくさんではありませんが、このような状況下なので個人の方からの依頼が大変有難く感じるものです。記事にあるように‘だんな衆‘と直に話をして花火内容を決めるので、強い責任感、連帯感を感じます。そして‘だんな衆‘と花火、時間を共有することで、強い信頼関係、絆が生まれるのではないかと思っています。
T.Watanabe (2021鼠ヶ関港)